農業するアリ
中国水工環境コラム第 18 回(2021 年 9 月)
執筆者:中国水工(株)環境アドバイザー 大田啓一
私たちが乗ったマイクロバスが停まり、バスを先導していた車からサンカルロス大学のツンディーシ教授(Jose Tundisi)が出てきました。珍しいものが見えるから、みんなバスから降りてこいと言います。1987 年7月の夕刻、リオデジャネイロの北350km、熱帯雨林が残るリオドッセ州立公園の中でのことでした。マイクロバスに乗っていたのは日本とブラジルの共同研究チーム十数名で、公園内に点在する湖の当日の調査を終えて宿舎に帰る途中でした。
バスを降りた一行が目にしたのは、先導車のヘッドライトに照らされた路上の木の葉の列でした。木の葉は大形の記念切手くらいの大きさに切られていて、それが一列に並び、赤茶色の道路の上を滑るように進んでいきます。その光景は三好達治の四行詩にそっくりです。
木の葉を運んでいるのはハキリアリ(leafcutter ants)です。体の何倍もある木の葉を口にくわえています。木の葉の隊列は森の中から次々に現れ、道路に出て、私たちの目の前を横切り、道路の反対側の
草むらへと消えていきます。その先には巣穴があるはずです。隊列は、葉を採った樹木と巣穴を最短距離で結んでいると、ツンディーシ教授は説明してくれます。
ハキリアリが葉を運ぶのは、それを餌にするためではありません。アリは地下の巣の中で葉を細断し、菌を植え付けてキノコ(アリタケ)を栽培します。葉はキノコ栽培の培地で、それに育ったキノコが食料です。このやり方は、人間が田畑で作物を栽培し、育った植物体や実を食料にするのと似ています。それ故、ハキリアリは「農業するアリ」と呼ばれています。
人間は作物を病虫害から守るために農薬を使いますが、ハキリアリもキノコを病原菌から守るために抗菌物質を分泌して使います。ハキリアリが出現してから数千万年の間には、病原菌はさまざまに変異したと考えられます。しかし、キノコ栽培は今も続いていますので、うまく対処してきたに違いありません。大した知恵です。
ハキリアリの一集団はおよそ100 万匹と推定されています。「葉切りと運搬」「警備」「キノコ栽培」「卵管理」「女王アリ付き」などの仕事を分担しながら生活しています。「搬出」を担当するアリもいて、葉くずと排泄物を地上へ運び出します。やがて木の葉の成分は土の肥料となり、再び植物に吸収されます。物質循環です。
これほどの組織的な仕事ができる集団ですから、これがコーヒー園に侵入したら被害甚大です。対策として、コーヒーの木を守る農薬の使用や巣穴を作らせないための耕起などが行なわれています。森の物質循環に重要なハキリアリですが、人間との共存をめぐる問題にも直面しています。