後世へ何を遺すか
中国水工環境コラム第 52 回(2023 年 7 月)
執筆者:中国水工(株)環境アドバイザー 大田啓一
1894 年(明治27 年)7 月、33 歳の内村鑑三は箱根で開催されたキリスト教徒第6回夏期学校において、「後世への最大遺物」と題した講演を行いました(自著、岩波文庫)。同じ年の同じ7 月には日清戦争が始まっています。そんな社会情勢の中にあって、戦争とは関係がなく、むしろ反戦的ですらある宗教的集会がよく開かれたものだという気がします。
その講演で内村鑑三が遺したいものとして一番目に挙げたのはお金です。お金を自分の子供に遺すだけでなく、社会に遺して逝けば、これを後世の人が用いることができるからだと言います。その例として、アメリカの慈善家の莫大な遺産金が孤児院の建設に使われたことや、篤志家の大金で黒人の学校ができ、黒人教育が進んだことなどを挙げています。二番目が事業です。いくつかの土木事業や治水工事の例と、それが与えた社会的な恩恵が挙げられています。また、リビングストンのアフリカ大探検によってアフリカにおける交易路が拓かれたことも話されました。
さて、お金はないし、事業も遺せない人はどうすればいいのでしょうか。「その人は高尚なる勇気ある生涯を遺しなさい」。これこそが最高の遺物であると、内村鑑三は言います。そう言われても、あまりピンとは来ませんが、講演の終わりに次のようなことが語られています。後世の人が、「この人は力も富もなかったし、学問もなかったけれども、生涯を自分の主義のために送った」と、言われるように生きたい。また、「後世に遺すものは何もないが、真面目な生涯を送った人だった」と、言われたい。
要は、生き方を遺せということです。
では、どんな人がその見本なのでしょうか。内村鑑三は武家の出で、熱心なクリスチャンでしたから、武士道と信仰心が思想の基軸でした。その彼は自著の「代表的日本人」(岩波文庫)の中で、西郷隆盛、上杉鷹山、二宮尊徳、中江藤樹、それに日蓮上人の5人を挙げていますので、これらの人
が見本だと言いたいのでしょう。名前の知られた歴史上の偉人ですが、各人が生涯貫いた主義や、どこが真面目だったかについて私はよく理解していません。
私にとっては古色蒼然たる歴史上の偉人よりも、本コラムに登場した、人をつなげる力を発揮しながら人と一緒に生きた人たちに親近感を覚えます。例えば、私財を投じて筑後川に山田堰を築いた名主の
古賀百工、山田堰に学んでアフガニスタンの砂漠を農地に変えた中村哲医師、島根県隠岐の地域つくりに献身した町長の山内道雄さん、鹿児島県“やねだん”の地域おこしに尽くす公民館長の豊重哲郎さん達
です。私心がなく、人をつなげ、人と一緒に、後世を見つめながら仕事をした人たちです。仕事に向かう姿勢と仕事の成果は後世への偉大な遺物そのものであると私は思っています。