沙漠に水を運ぶ
中国水工環境コラム第 21 回(2022 年 3 月)
執筆者:中国水工(株)環境アドバイザー 大田啓一
ドイツの気象・気候学者ケッペン(W. P.Kӧppen, 1846-1940)は、生涯をかけて世界の気候区分図を作成しました。それを初めて見た中学生の私は、乾燥地の多さに驚いたものでした。事実、世界の陸地の約2割は沙漠とその周辺の乾燥地で、年降水量800mm 以下の半乾燥地域と合わせると約4 割に達します。その多くは南北両半球の亜熱帯に分布します。今回注目するアフガニスタンも亜熱帯の半乾燥地で、年降水量321mm は日本の5 分の1 ほどです(2018年データ)。それでも、ヒマラヤ山脈に連なるヒンドウークシュ山脈の雪解け水は農業を支え、農民は安定した自給自足の生活を続けてきました。
この国の悲劇は1979 年のソ連軍の侵攻で始まりました。理由は親ソ政権の支援でした。ソ連軍は国内の武装勢力の反撃にあい、10 年間の泥沼戦を続けた後に撤退しました。その間に国土は荒れ、600 万人余が難民となりました。農業にとって決定的な打撃となったのは2000 年の渇水でした。この年の降水量はここ60 年間で最も少ないものでした。特に、農業に大事な春の雨が少なかったことが致命的でした。もともと降水量が少ない国だけに、農地は干上がり、作物の植え付けはできませんでした。ほとんどの農民は農地を捨てて流民・難民となり、あるいは傭兵となりました。
そんな農地に農業を復活させようと全力で取り組んだのは、中村哲医師を代表とする日本のペシャワール会でした。中村さんたちは診療所で医療にあたりながら、病気の予防に必要な清潔な飲料水を得るために600 本以上の井戸を掘りました。しかし、もっと大事なのは人々がこの土地で自活できる基盤をつくることだと考えていました。かつてのような農村の再生ですが、それには十分な水が要ります。そこで、以後6 年間におよぶ水路建設を始めました。
毎年2 億円以上かかった経費はペシャワール会会員の寄付で得て、それで機械を買い、現地の人を雇って工事を進めました。また、多くの技術を日本に学びました。大変な苦労の末に24km におよぶ水路が2009年に完成しました。その間の事情は中村哲著「天、共に在り」に書かれています。完成した水路の水は沙漠を農地に変え、60 万人の農民が自活できるようになりました。
中村さんは2019 年12 月4 日に志半ばで亡くなりました。中村さんの死に世界中から弔意が寄せられましたが、最も深く悲しんだのは彼を尊敬してやまない現地の人たちでした。彼らの言葉の中に「沙漠に水を運んだ人」があり、今回の標題としました。アフガニスタンの復興はまだまだ先のようですが、ひとつ気になることがあります。それは水路の水の元となるヒマラヤ山系の雪の減少傾向です。原因は、勿論、地球温暖化です。温暖化は中東の国の復興にも影を落としているのです。
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